2013年06月26日(水)

OEPゲストコラム(上)

アニメやマンガ、映画などを中心としたレビューサイト「さめたパスタとぬるいコーラ」。管理人のさめぱは熱心な『エヴァ』ファンとしても知られ、『ヱヴァQ』公開直前にはTVシリーズの全話レビューを決行。『Q』関連エントリーも意欲的に更新しており、内容面でも、その考察の深さから突出した注目を集めていた。
そんなさめぱはいまOEPの動向に注目しているという。そこで急遽、第3のゲストとして、自身が期待する『シン』の姿とOEPをテーマとしたコラムを寄稿いただいた。さめぱが見る『シン』、そしてOEPの行方とは――。

※『めるまがbonet』に掲載したものを転載しています。

 

『シン・エヴァ』に期待するライブ感覚とコミュニケーション/上

さめぱ

 

 『めるまがbonet』でははじめまして。さめぱと申します。
 『ヱヴァQ』公開前後にブログで『エヴァ』の感想を書きまくっていたのですが、それが転じてまさかこうした場でコラムを書かせて頂く機会に恵まれるとは。
 今回は「僕=さめぱが思い描く『シン・エヴァ』」と、「OEP(Our Evangelion Project)について」をテーマに記事を書かせて頂くことになりました。複数の批評家や作家の叡智を結晶させたOEPに対し、一介の『エヴァ』ファンに過ぎない僕が何かしら意義のある『シン・エヴァ』像を提示するにはどのようなアプローチが可能なのでしょうか。この難題をクリアするため、ここはひとまず『ヱヴァQ』を振り返ってみるところからはじめてみましょう。

 

『シン』で一番観たいもの

 

 『ヱヴァQ』が公開される前、『Q』の内容を予想できた人間はどれだけいたでしょう。おそらく99.9%以上の人は、冬月の髪の後退すら予測できなかったはずです。それもそのはずで、これは『エヴァ』が庵野秀明の快楽原則によって構築された世界でできているからです。もちろんそこには鶴巻和哉や榎戸洋司といったクリエイターのエッセンスも盛り込まれます。しかしそれらの要素も最終的には、総監督である庵野さんの判断により取捨選択されるのです。
 『Q』の「14年後」という思い切った設定などはまさしく、庵野監督の現在の気分が反映されたものである可能性が高いでしょう。宮崎駿監督による、「(震災を受けて、)庵野も堂々巡りしてるんですよ、『ヱヴァンゲリヲン』の最終話を巡って」(『CUT』2011年9月号)」という証言もあることですし、庵野監督が震災を機に、作品の方向性を大きく転換させたことは想像に難くありません。
 『宇宙戦艦ヤマト』や特撮が大好きな人間であれば、庵野監督の思考をある程度トレースすることはできるかもしれません。しかし庵野監督が生きた人間である以上、その時々における表現テーマまで予測するのは不可能です。しかし、現時点では予測ができないそうした部分こそ、庵野ファンとしては『シン』で最も観てみたい部分だったりするわけです。

 

新劇場版を作る上で必要な武器

 

 ところで、この記事の冒頭では一介の『エヴァ』ファンである僕がOEPに立ち向かうことの難しさをちらつかせました。しかしこうした困難は、OEPという企画そのものに当てはまるものでもあります。OEP版の『シン』脚本は今後、否応なく庵野版の『シン』と比較されることになるわけですから。
 さらに言えば、それはそのまま当の庵野監督達にも言えることで、『エヴァ』が膨大な二次創作を背景に持つコンテンツとなっている以上、二次創作的な側面を併せ持つ新劇場版シリーズが、その他の二次創作と比較されることは避けられないことです。そしてその際庵野監督達にとって重要となるのが、自分達の作品をどれだけ他の二次創作と差別化できるかという点でしょう。ポイントとなるのは「細部のブラッシュアップ」なのか、「他を圧倒するエンタメ」なのか、「旧作以上の迷走」なのか……。いずれにせよ、『エヴァ』の看板を背負って映画を作るからには、他の追随を許さない何かが必要となります。
 そう考えると、しばしば取り沙汰される「ループ説」のようなものが、新劇場版シリーズを作る上でいかにコスパの悪いものであるかに気付かされます。『RE-TAKE』でも『まどか☆マギカ』でもいいですが、ループを扱った傑作が世にこれだけ存在する中、今更この要素を中心に据えた『エヴァ』を作るのは費用対効果があまりに低いように思えます。

【続く】