2013年06月27日(木)

OEPゲストコラム(下)

アニメやマンガ、映画などを中心としたレビューサイト「さめたパスタとぬるいコーラ」。管理人のさめぱは熱心な『エヴァ』ファンとしても知られ、『ヱヴァQ』公開直前にはTVシリーズの全話レビューを決行。『Q』関連エントリーも意欲的に更新しており、内容面でも、その考察の深さから突出した注目を集めていた。
そんなさめぱはいまOEPの動向に注目しているという。そこで急遽、第3のゲストとして、自身が期待する『シン』の姿とOEPをテーマとしたコラムを寄稿いただいた。さめぱが見る『シン』、そしてOEPの行方とは――。

※『めるまがbonet』に掲載したものを転載しています。

 

【上はこちら】
 

『シン・エヴァ』に期待するライブ感覚とコミュニケーション/下

さめぱ

 

『シン』を誰に向けた作品として作るか

 

 少し話がそれたので、ここで根本的な問題に立ち戻って考えてみたいと思います。『序』や『破』には分かりやすいエンターテインメント性があり、多くの観客の支持を得ました。ところが『Q』ではそれが一転し、内容が随分マニアックな方向に振れていました。これを承け、『シン』は誰に向けて、どのような作品として作られるべきなのでしょうか。
 このことはUstream上で行われたOEPの会議でも論点となっていました。印象的だったのは大間さんと坂上さんのやりとりです。
 「『シン』とはあくまで新劇場版4部作の完結編にあたるものであり、新劇場版にしか触れたことが無い新規のファンでも楽しめるよう、4部作にきちんとした一貫性を持たせるべきだ」とする大間さんと、「『エヴァ』と名のつく作品を手がける以上、旧シリーズをはじめ、その他の膨大な二次創作群を包括したものにすべきだ」とする坂上さん、といった構図だったかと思います。ust内では、最終的にはふたつの考えが両立可能という結論に達していましたが、あそこで垣間見えた問題は重要なことのように思えました。2006年、最初に新劇場版シリーズの制作が発表された際、庵野監督による所信表明が公開されました。そこでは、庵野監督がアニメーション本来の面白さを一人でも多くの人に伝えたいということや、本来アニメーションを支えるファン層であるべき中高生に向けた作品の必要性について書かれていました。こうした姿勢は、『序』から『破』にかけて一貫されていたように感じられます。ところが『Q』は、旧シリーズで見られたような自閉性からは一線を画しつつも、これまでの新劇場版シリーズとは似ても似つかないバランス感覚で作られているようでした。このような変化は、『Q』がこれまでより狭い範囲の人々に向けて作られたことを意味するのでしょうか。
 ここで思い起こされるのが、ウェルメイドな傑作と評されることが多い『序』と『破』が、それぞれ制作開始時には、かなり違ったものを志して作られていた点です。元々単なる総集編となるはずだった『序』は、作り手達の過剰なサービス精神により最終的にあそこまで豪華な内容となり、『破』の制作時には、いかに新たな「エヴァ像」を捻出するかがスタッフ間で焦点となっていました。
 『エヴァ』の制作陣が好んで使う「ライブ感覚」という言葉がありますが、一貫した方針の下で作られたように見える『序』と『破』ですら、実は制作途中でライブ的に目指す方向性が変化していたのです。僕は、『Q』が表面的なレベルですら『序』や『破』と異なるものとなったのは、まさにこうしたライブ感覚が作用したためであると予想しています。
 加えてここで着目したいのは、『Q』での方向転換が、これまで新劇場版に親しんできたファンを振り落とすことには繋がらなかったのではないか、という点です。客観的事実として、『Q』の興行収入はシリーズ最高を記録し、「Yahoo!映画」といったユーザー参加型の評価サービスでも、賛否両論は起こるものの、『Q』は常に一定以上の支持を得ています(3月7日時点では評価数2459件、5段階評価で3.02点となっていました)。
 


 
 『Q』のエンタメとしてのバランスは、結果的にはこれまでに比べておかしなことになっています。しかしそれは、スタッフ達が受け手として想定した人々の像がブレたからではないように思えるのです。そして、バランスが崩れているにもかかわらず、ファンがついてきているということは特筆すべき点です。これは言い換えれば、『Q』のおかげで今後の新劇場版シリーズでは、表面上はさほど一貫性の無い続編が作られたとしても、ファンにとってどこかしら正統性が感じられる内容であれば、そのまま続編として認めてもらえる土壌ができているということです。
 『シン』はこうした流れに沿うものであるべきでしょう。即ち、表面的な一貫性に囚われないライブ感覚に身を任せた内容でありつつ、庵野監督の所信表明にあるような、「アニメーション本来の面白さを一人でも多くの人に伝えたい」「中高生に向けた作品を作りたい」といった姿勢を維持したものです。表面上の一貫性が既に破綻している新劇場版シリーズにおいて、内実面での統一を図ることこそ、シリーズとしての破綻を免れる唯一の方法であると思います。

 

OEPへの期待

 

 『エヴァ』の制作においてライブ感覚が発生する条件として、作品作りがいつもスケジュールギリギリであることや、庵野監督が「面白い」と判断した他のスタッフの意見を貪欲に取り込むスタイルであることがよく挙げられます。これはいわば、アニメが集団制作であるがゆえの特権と言えるでしょう。その意味において、OEPが個人ではなく、複数人によるコラボ企画となっていることは、本家『エヴァ』への対抗策として非常に正しい気がします。複数人が関わることによる相乗効果は、個人が作ったものには宿り得ない『エヴァ』としての強度を発生させる可能性を秘めているのです。
 また、私的にOEPについて興味を持っているのが、OEPの掲げる「我々(Our)」の範囲が、実のところどれだけの射程を持つのだろうかという点です。これまで述べてきた理由からも、個人的には”「我々」による”ものでありながら、”「他の人達」にも向けられた”、広がりのある内容を期待してしまいます。OEPのustで村上さんも言っていたことですが、『エヴァ』はこれまでも、「他人」に対して、何らかのコミュニケーションを試みる物語でした。
 『Q』の劇中では、キャラクター間の一方通行なコミュニケーションが積み重なった結果として、カヲルとシンジにとって悲劇的な結末が待っていました。ただ、ラストシーンで砂漠を歩く3人からは、その後への希望のようなものも感じられました。いずれの『シン』においても、こうした側面が真摯に受け継がれていることを願わずにはいられません。