2013年06月06日(木)

ノッツインタビュー 「ギターを持ったマンガ家の唄」(1)

取材・構成:草見沢繁、高瀬司
収録日:2013年3月15日

「ギターを持ったマンガ家の唄」(1)

 

片や初の単行本『クルミくん NO FUTURE』(小学館)を2月に上梓し、『ソラミちゃんの唄』(芳文社)の発売も間近に控えた新進気鋭のマンガ家。片や『ヘルメンマロンティック』(HATCH)でギターを手に甘い歌声を響かせるシンガーソングライター。はたまたミドリカワ書房「大丈夫」のPVを手がける映像作家でもあり、supercellのトリビュートアルバムに参加するボカロPでもある――。
『bonet』では、そんなさまざまなジャンルを股にかけて活躍するマルチクリエイター・ノッツへのインタビューを敢行した。これから全5回に渡り、その多才さを育んだ半生から作品に隠された秘密まで、未だ知られざるノッツの創作の核へと迫る。

 

マンガ家ノッツができるまで

 

 

――初単行本『クルミくん NO FUTURE』の発売おめでとうございます。かわいらしい絵柄と、スマートな下ネタギャグの調和がとても面白かったです。

 

ありがとうございます(笑)。

 

――もともとはTwitterでのつぶやきから出発した作品なんですよね。

 

はい、「射精したら未来予知ができる超能力者がいたら……」みたいな下ネタツイートがきっかけでした(笑)。そこから「能力に目をつけた悪い女幹部が主人公を射精させようと襲いかかり……」みたいに設定を膨らませていったんですけど、当然誰も作品にまとめてくれそうもなく……。なのでしょうがなく自分でマンガに(笑)。

はじめは軽いノリでTwitterやpixivにアップしていただけだったんですが、思いのほか分量もたまってきたので、2012年5月のCOMITIA100[※1]で1冊の同人誌にまとめて頒布したんです。COMITIAは以前も参加したことがあったので遊びのつもりで。そしたら会場で『月刊IKKI』[※2]の編集さんから声をかけていただいて……そのご縁をきっかけに、後日単行本化の話をいただきました。

 

――もとからマンガを描く訓練はされていたんですか?

 

小学校の頃、クラスに1人はマンガを描く友だちっていたじゃないですか? 僕がまさにそういう奴だったんですよ。クラスメートが登場して冒険するようなマンガをノートに描いていて、たまに回し読みされてました。だから訓練はしたことないんですが、量だけはたくさん描いてましたね。

小学校の頃からとにかく物語や表現を外に出したいという気持ちがあったんですよ。その種の飢餓感を常に抱えていて、その点マンガは描けばすぐに友だちが面白がって読んでくれたので、喜んで描いてました。他人の反応がうれしかったんですよね。

 

――当時読んでいたマンガというのは?

 

小学生の頃はスーパーファミコンの全盛期で、中でも『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などのRPGが好きだったこともあって、一番読んでいたマンガ誌は『月刊少年ガンガン』でした。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』[※3]や『ロトの紋章』が載っていたので。

両親もマンガ好きで、家にもたくさん置いてあったんですよ。『SLAM DUNK』や『幽☆遊☆白書』みたいな『ジャンプ』マンガとか、『ドカベン』[※4]とか『つる姫じゃ~っ!』[※5]とか。そういうメジャーな作品がそろっていて、それを読んでいました。

あとは妹が少女マンガも買っていたので、そこでいくえみ綾先生[※6]なんかに触れて、少女マンガの叙情性に驚かされたりもしましたね……でも自分で購読していたのは『ガンガン』でしたが(笑)。RPG的な世界観が大好きで。

音楽でもそうで、小学校の頃にピアノを習っていて、それはすぐ辞めてしまったんですが、『FF』の音楽を弾きたくて自分でバイエル併用の楽譜を買って練習もしていました。

 

ギタリスト・ノッツの誕生

 

――そこからギターを弾くようになったのはいつ頃から?

 

中学校に入ってからですね。当時はよく友だちの家に集まって、その頃流行っていた『ストリートファイターⅡ』[※7]などのゲームをやってたんですが、待ち時間に置いてあった友だちのギターを触ってみたら面白くて。それで高校に入学するときに安いエレキギターを買ってもらったんです。ちゃんと練習をはじめたのはそれ以降ですね。

 

――宅録にはまりだしたのもその頃から?

 

はじめはバンドをやろうともしてました。高1のときには「よし、文化祭でも出るか!」とコピーバンドを組んだりして。でも高2の頃にはオリジナルが作りたくなってきて多重録音ができるMTR[※8]を買っちゃったんですよ。それまでの貯金のすべてをつぎ込んで。そしたらバンドよりも宅録にハマってしまって(笑)。宅録のほうが、すぐに人に聴かせられるところがよかったのかもしれません。

作った音源はテープに録音して学校の友だちに聴かせていました。みんなすごくいい反応をしてくれて……それがうれしくて、それからは「自分の音楽を聴いてもらえる!」というモチベーションだけで学校に行っていましたね、週1のペースで曲を作って(笑)。

その頃はまだインターネットが世の中に浸透していなかったので、今みたいにニコニコ動画で知らない人から自分の音楽を評価してもらえるなんてこともなかったんですよ。

 

――その当時の制作スタイルというのは?

 

まだPCへの直接録音はできなかったんですけど、「ミュージくん」や「ミュージ郎」[※9]といったソフトでギターとボーカルのないカラオケを作ってからMTRに入れて、そこにギターを重ねて録音して、最後に自分でボーカルやコーラスを歌って完成、という流れですね。

当時の音源なんて、今ではもう聴けたもんじゃないんですけど(笑)あの時代に素人がきちんと多重録音で制作していたというのは、珍しかったのかもしれませんね。周りにいたとしてもせいぜい、2万円くらいのFOSTEX[※10]とかの4チャンネルカセットMTRを使って、アコギにリズムが入っているくらいのすごくローファイな音源だったと思います。

僕は機材に全財産をつぎ込んでましたから(笑)。だから服なんかも全身オカンセレクションで、音楽以上にアヴァンギャルドでしたよ(笑)。

 

――宅録に関して家族からは何か言われたりしませんでした?

 

実家は田舎の一軒家だったので、大声で歌っても問題にはならなかったですね。部屋で歌い始めても、家族は「ああ、はいはい」というくらいで、僕が恥をかくだけで済んでいました(笑)。都会だったらこうはいかなかったでしょうね。

 

知られざるバックグラウンド

 

――当時影響を受けたミュージシャンは?

 

一番は何と言ってもスピッツです。邦楽で一番最初に買ったアルバムもスピッツのものでした。メロディーも歌詞も演奏も本当に好きで、コピーしていたのもずっとスピッツの曲でしたね。

その一方で、まだ血気盛んな少年でもあったので、もっと激しい曲でギャンギャンとギターを弾きたいという思いもあって、ミッシェル・ガン・エレファントとブランキー・ジェット・シティにもハマりました。あとは当時読んでいた『ギターマガジン』に、ギタリストの方が「影響を受けたCD10枚」を挙げるコーナーがあったんですけど、そこで紹介されているCDはよく買っていましたね。ニルヴァーナやレッド・ホット・チリ・ペッパーズの存在を知ったのもそこでです。

ただ、やっぱりメインで聴くのは邦楽でしたね。洋楽は歌詞がわからないので(笑)。曲を作るときも歌詞から作りはじめるんですよ。何か言いたいことがあって、それにギターを弾きながら曲をつけていく。何となく形になってきたら伴奏をつけて、という感じです。そもそもオリジナル曲を作りはじめる前から、歌詞みたいなものだけは書きためていて……中2の頃から中二病をこじらせたみたいなものを(笑)。

 

――文芸にも興味があったということでしょうか?

 

実は高校では文芸部に入っていて、会誌に詩を書いたりもしていました……けど、自作するだけで読者として文学に触れてきたわけではないんですよね(笑)。

草野マサムネさんの歌詞に影響を受けたり、浅井健一さんのとんでもない歌詞に感じ入るということはありましたけど、活字でちゃんと読んでいたものといえば、ゲーム雑誌に載っていたTRPGのリプレイ[※11]とかゲーム系のノベライズですね。高校に入ってからはもうTVゲームはやらなくなったのですが、代わりにTRPGにはすごく興味を持つようになっていて。『マジック・ザ・ギャザリング』[※12]にもハマってました。

 

――ゲームはノッツさんにとって重要な部分なんですね。

 

そうですね。音楽に目覚める前は、ゲームクリエイターになりたかったんですよ。作曲をやりたいと思ったターニングポイントの1つも、スーパーファミコンの『RPGツクール2』[※13]だったんです。

というのも、『RPGツクール2』では、自分で作った曲をインプットしてゲームのBGMに設定できたんですよ。作曲専用の『かなでーる』というソフトまで出ていて、自分の作った曲をRPGで流したいという一心で買いました。そこから音楽そのものへと関心が向きだしたんだと思います。

 

【第2回に続く】

 

注釈

 

[※1] COMITIA(コミティア)
年4回、東京ビッグサイトで開催されている同人誌即売会。頒布物はオリジナルや創作に限定されていることが特徴で、この即売会をきっかけにプロデビューした作家も多い。なお「コミティア」の名称を冠するイベントは関西・名古屋・新潟でも行われており、広義にはこちらも含める。

 

[※2] 『月刊IKKI』
小学館から発行されている月刊マンガ雑誌。毎月25日発売。林田球『ドロヘドロ』、オノ・ナツメ『ふたがしら』、松本大洋『Sunny』などが連載中。

 

[※3] 『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』
1990年から2006年にかけて刊行された、スクウェア・エニックス(旧エニックス)発行のドラゴンクエスト4コマアンソロジー、およびそのシリーズ。新人時代の柴田亜美や衛藤ヒロユキらが活躍していた。

 

[※4] 『ドカベン』
水島新司によるマンガ作品。主人公の高校生「ドカベン」こと山田太郎と仲間たちを中心とした野球マンガ。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に1972年から1981年まで連載され、1976年にはTVアニメ化された。

 

[※5] 『つる姫じゃ~っ!』
土田よしこによるマンガ作品。下品で型破りなヒロイン「つる姫」が巻き起こすドタバタギャグマンガ。『週刊マーガレット』(集英社)にて、1973年17号から1979年の35号にかけて連載され、間をおいて1990年からTVアニメ化された。

 

[※6] いくえみ綾(いくえみりょう)
『バラ色の明日』『潔く柔く』(共に集英社)で知られる女性マンガ家。近著に『トーチソング・エコロジー』(幻冬舎)などがある。

 

[※7] 『ストリートファイターⅡ』
カプコン制作の対戦型格闘ゲーム『ストリートファイター』の続編。通称『ストⅡ』(ストツー)。1991年にアーケードゲームとして登場し、1992年にスーパーファミコン初の16MBitロムカセットで発売。販売本数は全世界で約630万本を記録した。

 

[※8] MTR
「マルチトラック・レコーダー」の略。ディスクやテープなどに複数のトラックを独立して録音・再生することができる機器の総称。

 

[※9] 「ミュージくん」「ミュージ郎」
1988年よりローランドから発売されていたDTM初期の音楽制作ソフトシリーズ。PCとの接続キットも同梱されていた。

 

※10] FOSTEX(ふぉすてっくす)
1960年代から続く音響機器メーカーの老舗。安価な普及版MTRも手がけていた。

 

[※11] TRPGリプレイ
『D&D』などで知られるテーブルトークRPGのプレイ風景を、主に会話文のみで戯曲のように構成した読み物。『RPGリプレイロードス島戦記』などが有名。

 

[※12] マジック・ザ・ギャザリング
米ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社製のトレーディングカードゲーム。プレイヤーは魔法使いとなり呪文を駆使して他プレイヤーと決闘する。このゲームによってトレーディングカードゲーム(TCG)というジャンルが生まれた。「もっともよく遊ばれているTCG」としてギネス世界記録に認定されている。

 

[※13] RPGツクール
1990年より株式会社エンターブレインから発売されているオリジナルRPG制作ソフトのシリーズ。さまざまな画像・音楽を組み合わせてオリジナルのRPGを制作することができ、画像・音楽はあらかじめ用意されたもののほか、自分で作ったものも使用できる。