2013年06月11日(火)

『波間の国のファウスト
:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』刊行記念
佐藤心×村上裕一対談(2)

取材・構成:草見沢繁、高瀬司
収録日:2013年4月26日

「経済特区と本土の狭間で」(2)

 

 

ゼロ年代初頭に「オートマティズムが機能する」で美少女ゲーム批評を牽引した佐藤心は、10年代初頭に今度は実作者として美少女ゲームを刷新しはじめる。2010年の『風ヶ原学園スパイ部っ!』(Sputnik)につづいてシナリオを担当した2012年の『波間の国のファウスト』(bitterdrop)は、経済をテーマとした異色の社会派作品としてその名を歴史に刻んだ。

 

そんな『ファウスト』の佐藤自身の手によるノベライズ『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』が、この5月に講談社BOXから上梓された。新ヒロインとともに描かれるのは、ゲーム版の前日譚。律也と白亜が再開する以前の物語。

 

そこで『bonet』では、ノベル版の編集にも携わった批評家・村上裕一と、佐藤心との対談を敢行した。ノベル版のコンセプトから制作の裏側まで、その立ちあげから共闘してきた2人だからこそ語れるディープな対話をご堪能いただきたい。

 

【第1回はこちら】

 

金融界への入り口

 

村上 マネー・金融ものの作品というのは、他の作品とはまた異なった独特の調整が必要だと思うのですが、そのあたりにどういう注意をされたのでしょうか。

 

佐藤 お話が進むにつれて扱う金額の単位が膨れ上がっていくようにしました。序盤から億単位の金額が登場すると、日常との距離が大きくて違和感を生むだろうと思ったんです。だから最初は100万円規模からスタートし、つぐみの今川焼き屋に投資するエピソードになっています。プロット会議では、主人公が「経済特区を買い叩く」といっておきながら、最初のビジネスが今川焼き屋かよと賛否両論ありましたけど(笑)。

 

村上 僕は、序章で律也が開業するシーンが印象に残っていますね。白亜の仕切りでオフィスを借りるところにこぎつけるわけですが、これから物語が始まっていくんだなというわくわく感がありました。
他方、単なる金融ドラマではなく、いわゆる美少女ゲームの本流としての人間ドラマも中心的なモチーフだと思います。共同体や、子どもの頃の思い出が重要なファクターで、これとの軋轢や希求といったある種の「Key」的なモチーフがありつつ、裏にはマネーゲームのリアリズムがある。このことによって、社会と個人の関係に独特のバランスが働いた、他にはないタイプのゲームになっていたかなと思います。

 

佐藤 それはうれしい感想です。恋愛の三角関係といった人間関係のバトルなりコンフリクトなりをトラウマに落とし込む話は、僕にとって得意なモチーフではなかったのですが、これを経済バトルに落とし込むことによってうまく書けたところがあると思っているんです。第2章で、白亜と凪が言い争うシーンも、ビジネスの進行という別ラインがあるおかげか筆が走って、書いていても楽しかった(笑)。
こういう風に、実際にシナリオを書きながら確立していったおぼろげな方法論があるんですよ。たとえば、普通の経済小説は最初からシリアスな部分を見せてもOKですが、エロゲーやノベルゲームは我々の住む世界とは違う世界で、そこには敷居や段差、ないしは温度差のようなものがあって、しかもそうした別世界にプレイヤーをうまく没入させなければいけない。僕にとってそのための仕掛けが、キャラの掛け合いが作り出すコミカルな空気感なんですね。

 

村上 序章では、滝沢と律也が話している後ろで白亜が隠れているというシーンがあります。彼女がいない体で話が進むわけですが、あることないこと言いたい放題の滝沢に紙飛行機などで白亜が抗議するシーンは非常に軽快で、あそこを見てぐっと物語に入れた気がします。

 

佐藤 そういうコミカル描写でプレイヤーに親近感を覚えさせ、作品世界にスルっと招き入れることが僕は大事だと思っています。
またこうしたコミカル描写は、「このキャラクターはどんなキャラクターなのか」ということを提示するのにうってつけなんです。言い方を変えると、一度そのキャラのキャラ性を提示しておけば、後の展開でそう何度もコミカル描写を挟まなくてもよくなる。小さなコミュニケーションを丁寧に積み上げていく、従来のエロゲーとは真逆の方法論ですが、物語の面白さを追求していった結果、シンプルなドラマツルギーに近づいていったという気もします。

 

村上 細やかな配慮のもとにキャラクターが登場していたんですね。
このあたりの流れはノベルスフィア版デモでも見ることができるので、ぜひ見てもらいたいですね。

 

ノベライズの世界観

 

村上 今回のノベライズは、ゲーム本編の前日譚にあたるものです。ところが本編に入りきらなかったエピソードとしてではなく、本編を下敷きにして新たに書かれた点がミソなのかなと思います。作り方としては少しねじれていますが、現在を前提にして書かれるべき過去が描かれた、とでも言いましょうか。

 

佐藤 ゲーム本編から派生するやり方はいくつかあったと思うんですが、読み応えのある物語を切り出すとしたら、僕には3つの方針がありました。1つめは今回小説化した前日譚。2つめはゲームの主人公・結城律也が研修先のロンドンにいた頃の話。3つめはゲーム本編が終わった後の、いわば「完結編」とでも呼べるようなお話です。
というのも、『ファウスト』本編には綺麗なオチがついたと僕は思っているんですが、それは5人の幼なじみと直島経済特区という限定的なフィールド、人間関係におけるピリオドであって、それ自体は当初のプロットどおりなのですが、物語上ではよくも悪くも若干のズレが生じてしまいました。
それはロイ・ストラスバーグという、律也にとってメンター(師匠)にあたる人物に関することです。ロイは、腕利きの金融マンになるきっかけなど、さまざまなものを主人公に与えた一種のメフィストフェレス的存在。律也のバックグラウンドにリアリティを追求した結果、立ち絵が1枚もないにもかかわらず、ロイの存在がすごく大きくなってしまった。億単位の金を動かすような人間がただのスーパーマンであるわけがないと、経済というテーマにきちんと向き合った結果かもしれません。いずれにしても、エロゲーやラノベなどのオタク文化全般においてオミットされがちな、父的な要素がひょいっと滑り込んでしまったんです。

 

村上 オタク文化全般では、父の権威よりは母の重力の方が効いている……という感じでしょうかね。それこそ初期のKey系ゲームでは両親自体が不在だったりしますし、親が登場しても母の方が出てくることが多かったですね。かたやストラスバーグはまさに「生きている父」でしょうから、こういう構図は描きにくいのかもしれません。

 

佐藤 経済世界をヒエラルキーとして捉えれば、そこはサーキット式に成り立っていますし、短期間で上昇しようとすれば、どこかで何かしらのチート――ズルという意味ばかりでなく、人との出会いや偶然といった運も含む――を挟ませなければなりません。そうしたチートの代表例は「お金持ちのヒロインとの出会い」であり、平民ポジションにいる主人公を「歴戦のバイト戦士」と設定することなのでしょうが、今回はそうしたモチーフを選ぶことは却下しました。「できる主人公」と、自分なりに納得のいくリアリティ双方のバランスをとろうとしたと言ってもよいのですが、おかげでロイと律也の関係は『ファウスト』本編の影として存在感を濃くしてしまったということなのです。

 

律也vsストラスバーグ

 

村上 主人公の律也は、ストラスバーグ・エリクソン・ロバーツという投資会社の出身なんですが、その社名は、作品世界を代表する3人のマネーゲーム王からきているんですよね。

 

佐藤 本編ではつまびらかになっていない点ですが、律也の当初の研修先はロンドンの投資銀行、その後ヘッドハンティングでストラスバーグに移籍し、大きな実績を作って、直島経済特区に戻ってきたという設定になっています。

 

村上 『ハゲタカ』にもケネス・クラリス・リバプールという会社があって、主人公の鷲津の師匠が、その会社の代表であるクラリスですよね。そこで思ったんですが、佐藤さんが言う構想は『ハゲタカ』でいえば、最後の鷲津とクラリスの対決シーンのようなものですよね。

 

佐藤 まさに仰るとおりです。でもゲームにはそういったシーンがなく、「『ファウスト』の4章は何でここで終わるのか」と思われたユーザーさんも結構いたみたいなんです。当初のプロット設計からすればOKでも、それは制作側の事情にひもづけされた設計なわけですし、ユーザーさんが不満を抱くのはもっともだと思うんです。

 

村上 ゲーム版の展開としては、ストラスバーグとの対決ではなく、直島経済特区という経済ゲームの楽園のような場所が舞台で、そこの崩壊からいかに主人公たちが脱出するか、といった構図になっていきましたね。

 

佐藤 プロットでは、最後にカタストロフで終わることだけが決まっていました。でも、たとえば円が大暴落して国家が破綻した結末を描いたとして、その結果、関係する人がどのように苦しむのかといったリアリティが見えてこないと、面白い物語とは言えません。とはいえ、血なまぐさい部分を描き込んだとしても、今度はゲーム全体とのズレが生じてしまう。そこで「ソロモン債」という架空の債券を設定して、その価値が深刻に揺らぐことをカタストロフとしたんです。ここもリアリティと物語のバランスですね。たとえるなら、中国共産党のトップを倒すなどして一党独裁の支配を壊したとしても、単に社会秩序が崩壊し、世界は暗黒時代に突入するだけでしょうし。勧善懲悪的なわかりやすい悪を描くことができなかった。

 

村上 現実の革命でも、なかなか理想的な展開にはならないですよね。近年エジプトの革命がありました。悪徳な軍事政権を倒して民主化を進めようとしたのに、圧倒的に治安の悪い世界ができてしまった、というようなある種の皮肉があります。マネーゲームというものは状況に応じて敵になったり味方になったりといったことを繰り返す構図があると思うので、その点でも勧善懲悪というわけではない。逆にそういういかにもネオリベ的な世界とどう切り結ぶか、あるいは脱出するかという物語上の傾向が『ファウスト』にはあったわけですが、その発想からすれば、ある種の資本主義の権化としてストラスバーグが登場して、律也と対決して欲しい、と思うのは自然でしょう。

 

佐藤 そういうニーズと向き合って、収拾をつけるための物語が、言うなれば「完結編」です。ただし、この方向性はノベライズに与えられたリソースを大幅に超えるものだったので、今回出した小説は結局、前日譚に落ち着いたわけです。『ファウスト』本編ではハゲタカ試験というキーワードがありました。そこで「実は数年前にも、もう1つのハゲタカ試験があった……」という話をすれば、新旧読者が入れる世界を提示できるのではないかと。

 

【第3回につづく】