2013年06月19日(水)

『波間の国のファウスト
:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』刊行記念
佐藤心×村上裕一対談(5)

取材・構成:草見沢繁、高瀬司
収録日:2013年4月26日

「経済特区と本土の狭間で」(5)

 

 

ゼロ年代初頭に「オートマティズムが機能する」で美少女ゲーム批評を牽引した佐藤心は、10年代初頭に今度は実作者として美少女ゲームを刷新しはじめる。2010年の『風ヶ原学園スパイ部っ!』(Sputnik)につづいてシナリオを担当した2012年の『波間の国のファウスト』(bitterdrop)は、経済をテーマとした異色の社会派作品としてその名を歴史に刻んだ。

 

そんな『ファウスト』の佐藤自身の手によるノベライズ『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』が、この5月に講談社BOXから上梓された。新ヒロインとともに描かれるのは、ゲーム版の前日譚。律也と白亜が再開する以前の物語。

 

そこで『bonet』では、ノベル版の編集にも携わった批評家・村上裕一と、佐藤心との対談を敢行した。ノベル版のコンセプトから制作の裏側まで、その立ちあげから共闘してきた2人だからこそ語れるディープな対話をご堪能いただきたい。

 

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「収斂」する物語

 

村上 僕は、「金融」「経済」をテーマとしたライトノベルをあまり読んだことがなかったこともあって、ノベライズ作業に関しては「面白い! 早く続きを書いてくれ!」としか言ってこなかったですね(笑)。『ハゲタカ』も登場人物の毒々しい来歴や因果関係が絡まりあっていて、どうしても軽やかではないなという印象があり、それはそれでよいとしても、『ファウスト』のある種のジャンル的豊かさには独特の面白さを感じていました。あとは個人的に群像劇が好きなので、1つの事件をめぐって動く中に明示的に核心を描くのではなく、だんだんとその核心が見えてくるさまがいいんですよね。『ファウスト』のノベライズでは、そういった「収斂」が描かれています。

 

佐藤 「収斂」、つまり裁定取引で言うところの「コンバージェンス」ですね。本来同価値なモノに2つの値段がついてしまっているとき、それらは必ずひとつの値段に収斂するというのが裁定取引のベースになるモデルです。トレーダーの朱光を主人公格に描こうと決めたとき、彼女ならではのドラマの作り方も考えました。だからご指摘のとおり、ノベライズには全体の物語の「収斂」がまずあって、ついで朱光というキャラクターの物語が「収斂」するという2つのコンバージェンスを扱う構造になっています。

 

村上 後者は作中では「割安な愛、割高な計算」となっていましたね。

 

佐藤 人間にとって愛と計算、感情と合理性は、しばしばコンフリクトの原因となる行動原理ですが、それらのせめぎ合いが人間の欲望を構成するのだと言ってもいいと思います。そして双方が収斂されたとき、人はかつてない調和に到達するというイメージが僕の中であるんですよ。

 

村上 欲望の物質化ということで貨幣があるとして、貨幣の情報化としてマネーがある。他方で愛も欲望には違いないから、マネーをめぐるエピソードを媒介として、両者のトレード関係を描けるんじゃないか、という感じですか?

 

佐藤 そうですね。深入りすると結末のネタバレになるので、「愛が割高で計算が割安」という逆のパターンを考えてみましょうか。この場合、人間関係で言うところの「依存」や「虐待」がすぐに浮かびます。合理的、つまり客観的な目を持った周囲には暴力としか映らない行動が、当人にとってみれば愛情の一種と理解されていたりする。いずれも調和からはほど遠い状態にあるのは明白です。

 

村上 今のような言葉遣いはまさに現代思想的ですが、金融的な抽象性が高まってきた結果、本来は種類が違うはずの現代思想的な抽象性と交差するというのはなかなかスリリングですね(笑)。実際僕も話を聞きながら『贈与論』のマルセル・モースや、ポトラッチについて言及していたレヴィ・ストロースのことを思い出していました。とはいえ、そこには余計なロジックを制限するという佐藤さんの抑制がきいていたわけで、そういう衒学は登場しません。でも、そういったことが垣間見える小説になっていることは間違いないと思うので、いろんな方が楽しめるものにはなっているはずです。

 

佐藤 いわゆる深読みにあたる部分でしょうけれど、考察を深めていただくことは作品にとって大変な幸せです。そもそも考察や作品語りは楽しい営みですからね……。とはいえ作者が語りすぎるのはほどほどにすべきでしょうし、僕は粛々と「次」の企画作りに専念していこうと思います。

 

「本土」と「直島」の狭間で

 

村上 最後になりますが、次回作の構想などはおありですか?

 

佐藤 具体的なことはまだ決まっていませんが、書き手としての素朴な欲望としてはいつか「本土」の話を描いてみたいとは思っています。

 

村上 直島経済特区と対比される「本土」ですか。

 

佐藤 ええ、その「本土」です。ゲーム本編に始まり、今回のノベライズと、ここ2年ほど僕はずっと直島経済特区という場所、自由で開放された経済について考えてきましたが、そうした作業をやればやるほど「別の世界はどうなっているんだ?」という問いが膨らんでいくのを強く感じていました。多分に心理的な反動はあると思いますけど、特区ではない日本への思いは『ファウスト』を作る前にはなかったものです。本当に漠然とした物言いになりますが、僕はいま「作家」というのは、ひょっとすると特区と本土を繋ぐ存在なのではないかとも思い始めています。

 

村上 挟間をつなぐ……いよいよ佐藤さんも神主のような立場になってきましたね(笑)。

 

佐藤 そういうつもりではなかったのですけど(笑)。思うにこうした認識はアイデンティティの問題なのかもしれません。無国籍なグローバル世界にアジャストしきっているわけではなく、さりとて共同体的な存在でもなく、僕に故郷はありません。そういうどうしようもなく遊離してしまった存在である自分を、『ファウスト』を書き続けていく中で改めて発見し、むしろ書き続けたことがそういう自己規定を迫っているのかな、と思います。なんだか最後は大きい話になってしまいましたね。
 
 

『波間の国のファウスト』用語集

 

『風ヶ原学園スパイ部っ!』
佐藤氏がシナリオライターとして参加した美少女ゲーム。2010年11月にSputnikから発売された。

 

『市場クロガネは稼ぎたい』
梧桐柾木による学園内でのマネーゲームを描いたマンガ作品。小学館のウェブコミックサイト「クラブサンデー」で連載中。

 

直島経済特区
『波間の国のファウスト』の舞台である架空都市。日本の経済特例法により、特別行政区として自由主義的な法制度や経済システムが施行されている。世界でも有数の金融セクター。

 

『蓬莱学園』
1990年頃より株式会社遊演体によって展開されたシェアワールド作品群。代表作に富士見ファンタジア文庫のライトノベルシリーズなどがある。

 

ハゲタカ
真山仁によるバイアウト・ファンドを取り扱った2004年の経済小説。また、それを原作としたNHKのドラマシリーズ・映画作品。『ファウスト』本編では渚坂白亜個人の通称として国際的にも広く知られているという設定になっている。

 

トレーダー
市場で金融商品の売買(トレード)を行う人々。

 

ファンド
複数の投資家から集めた資金で投資そのリターンを分配するシステム。ファンドを運用する人々、または機関をファンドマネージャーと呼ぶ。

 

バイアウト
株式を取得することで議決権を支配し企業を買収すること。これを行うファンドをバイアウトファンドと呼び、経営危機に陥った企業の債券・株式等を買いあさるファンドの姿を批判、揶揄する意味でハゲタカと称される。

 

ゼネラル・エレクトリック社
世界最大のコングロマリット(複合企業)。アメリカ合衆国コネチカット州に本社を持つ。略称はGE。電気機器やインフラ、金融商品など幅広くビジネスを展開。

 

ウェルチ
ジャック・ウェルチ。1981年から2001年までGEのCEOを務めた。どのビジネスもその産業分野でのシェアが1位か2位であることをビジネス存続の条件とする改革を行い、成果を上げた。彼は一連のGE改革の成果から、“20世紀最高の経営者”と呼ばれ、その経営手法は多くの経営者に模倣された。

 

ヘッジファンド
私募によって機関投資家や富裕層などから私的に大規模な資金を集め、金融派生商品などを活用した自由な手法を用いて運用されるファンドのこと。

 

ロング・ターム・キャピタル・マネジメント
ソロモン・ブラザーズで活躍していたトレーダーのジョン・メリウェザーを中心に1994年に運用開始されたヘッジファンド。通称LTCM。FRB(アメリカの中央銀行)元副議長デビッド・マリンズや、ノーベル経済学賞を受けた経済学者のマイロン・ショールズとロバート・マートンといった著名人が取締役会に加わっていたことから「ドリームチームの運用」と呼ばれた。1997年に発生したアジア通貨危機と、その煽りを受けた1998年の発生したロシア財政危機に状況を一変、アメリカ金融当局により支援を受けたことで各国から強い批判を浴びた。

 

ソロモン・ブラザーズ
1910年に設立されたアメリカの投資銀行。1998年にスミス・バーニーと合併しソロモン・スミス・バーニーとなった後、現在はソロモンブランドは事実上の休止状態にある。

 

『贈与論』
フランスの社会学者、マルセル・モースによって1923~1924年に打ち出された「全体的社会的事実」の概念。ポトラッチ、クラなどの交換体系の分析を通じ、宗教、法、道徳、経済の諸領域に還元できないとした。