2013年10月09日(水)

アニメのゆくえ201X→ 第1回
アニメ評論家 藤津亮太氏インタビュー
「2011年もチャンネルはいつもアニメですか?」

取材日:2010年10月
取材場所:渋谷カフェミヤマ
取材:平岩真輔
構成:前田久
初出:2011年7月2日

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000年以降、ゼロ年代を通じて制作環境のデジタル化や、パッケージのビジネス形態などアニメを取り巻く環境は大きく変化してきました。そして2011年、この10年の成果を踏まえてこれからのアニメはどのように変わっていくのか? 制作現場から企画・流通など様々な形で「アニメ」に関わるキーマンへの取材を通じて、次のアニメの10年を探る連続企画「アニメのゆくえ201X→」。
まずは、2004年から2010年にかけてアニメ誌で連載された原稿を中心にゼロ年代のアニメを扱った時評が『チャンネルはいつもアニメ』(NTT出版)として書籍化されたアニメ評論家の藤津亮太さんに、これまでの10年と現状について伺うことで、次の10年の見取り図を描いていきます!

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ゼロ年代にはアニメの本数が増加した

―― 今日はご著作の『チャンネルはいつもアニメ』を踏まえつつ、ゼロ年代にアニメを取り巻く状況にどのような変化があったのか? 2010年代にはどう変化していきそうなのか? そんなお話を伺えればと考えています。よろしくお願い致します。
藤津 よろしくお願いします。聞き手になることは多いのですが、インタビューされることには慣れていないので、なんだか緊張しますね(笑)。
―― (笑)。
藤津 まず、『チャンネルはいつもアニメ』のもとになった時評連載(注:『月刊Newtype』連載の「アニメの門」、『月刊アニメージュ』連載の「アニメの鍵」)を始めたときのことから話していくと、今日のテーマに入っていきやすいのかなと思います。この連載は、もともとはもう少し気楽な内容の連載になるはずだったんですね。仕事について「気楽」なんていうのも変なんですけど(笑)。
―― といいますと?
藤津 連載をしていたのはアニメ誌なわけですけど、ということは、面白くて人気がある作品はもう時評以外のページで取り上げてあるわけですよ。だから時評では、ただ「こんな面白い作品がある」というのではなくて、「この作品はこう見たら面白いのでは?」というアングルを示すような文章にしよう、と考えていたんです。
―― なるほど、オーソドックスな視点はもう通常の誌面で示されているから、軽くひねった視点を示す時評を連載しようとしてらしたんですね。ところが、実際は、連載中にアニメを取り巻く状況が変わっていったことで、内容に変化が生じた、と。
藤津 そうです。連載中のゼロ年代中盤頃から、テレビで放送されるアニメの本数が増えたんですが、それはつまり、「深夜枠で放送されるアニメが増えた」ということだったんですね。で、さらに一歩進んで、キー局の深夜枠すら埋まり始めて、放送局がU局になることも珍しくなくなってきた。そうなったときに、テレビアニメの企画が昔よりもとんがっていったんです。
―― たしかに、その頃からマニアックな内容の作品が増えましたよね。
藤津 それで、アニメファンのあいだで話題になるのも、そうした深夜枠のとんがった作品が多くなっていった。そのときに、「なぜ昔のアニメは今ほどとんがっていなかったのに、あんなにアニメファンから愛されていたんだろう?」ということが気になって、その気持ちが連載に反映されていったんです。
―― その疑問の結論はなんだったのでしょう?
藤津 直接的な答えではないのですが、連載していく中で思いついた結論は、「作品の内容が変化した」のではなくて、「テレビ番組全体における、アニメ番組の占める位置が変化した」というものでした。プライムタイムではもはや視聴率が期待できない。でも、深夜枠でDVDセールスベースにすれば、アニメを制作することができる。こういう外的な環境が内容を決定しているというふうにまず認識するところから始めないといけないなと思ったんです。言ってしまえば「深夜アニメがマニアックだから普通の人が観ないんだ、と言っても始まらないんだ」と。だって、考えてみれば深夜番組なんですからね(笑)。
―― ああ、なるほど。深夜ってそもそもゴールデンでは扱えない実験的だったりコアな需要があったりする企画を放送する時間帯ですものね。
藤津 そこに思い至ってから、「テレビ番組全体の中のアニメの位置」だとか、「映画興業におけるアニメの位置」みたいなことを、時評とほぼセットで考えていくようになったんです。その部分は、『チャンネルはいつもアニメ』に収録された文章にも反映されていますが、より詳細には「アニメ!アニメ!」での連載「藤津亮太のテレビとアニメの時代」に繋がっていきました。

劇場アニメが隆盛する背景/求められる「クオリティ」

 
藤津 そうした経緯を踏まえて言うと、2010年のアニメを取り巻く状況をお話しするにあたっては、映画館での話をしていくのがわかりやすいように思うんですね。アニメって、ファンは確実にいるけど、単館上映だと箱が小さすぎて、かといって全国ロードショー公開をすると逆に箱が大きすぎるケースが多かったんです。ざっくり言うと、21世紀に入ってシネコンが増え、「単館+α」とか、あるいは、「ミニチェーン」といわれる100館以下の興業の体勢が組めるようになったことで、その状況に変化が生まれた。
―― 適切な規模での上映ができるようになったんですね。
藤津 そうです。それまでは、作品を作って上映している興行側は、最終的に作品の名前が売れて、DVDなり関連商品なりが売れてリクープできればいいけど、映画館にとって上映する意味がないというか、むしろやると損をした感じがある状況だった。それが映画館も得をして、興行側にも得があるという体制が、21世紀になって組めるようになってきた。結果として、逆に今度はとりまわしのいいアニメ映画の企画が通りやすくなったんですよ。
――その状況を象徴するタイトルはあるのでしょうか?
藤津 どこを起点にするかは難しいところですが、一つは劇場版『機動戦士Zガンダム』。“新訳”3部作のヒットはエポックメイキングな出来事だったと思いますね。名の売れたタイトルとはいえ、もともと20年前に作られたテレビシリーズのリメイク作品。公開規模も最終的には100館強になりましたけど、スタートは80館強と少なめ。なのに、どの劇場も大入り満員状態でヒットした。もう一つは『空の境界』7部作で、『人狼』『時をかける少女』とヒットを出して、“単館系アニメ映画”を切り開いてきたテアトル新宿をベースに上映されて、ご存じの通り大ヒットした。『ブレイクブレイド』や『機動戦士ガンダムUC』、『トワノクオン』などの、イベント上映等のスタイルで劇場公開し、パッケージを販売するというスタイルは、明らかにポスト『空の境界』ですよね。ただ当然ながらこういう企画も増えていけば、興行的な当たりはずれも出てくるわけで、これが定着するのか、一時の流行に終わるかは、ここ2年内ぐらいで見えてくるのではないかなと。
―― 映画もけして先行きが明るいわけではないんですね。
藤津 まあ、そうなんですけど、映画には映画のアドバンテージがあって、それは「お客に買っても損はない、と思わせるクオリティを出しやすい」ということなんです。ぶっちゃけて言ってしまうと、ソフトをパッケージ化して制作費をリクープするようになった時点で、アニメって本質的に全部「OVA」になっちゃったんですよ。あとはその「OVA」を宣伝するために、どのチャネルに乗せるか、TVの深夜枠なのか映画館なのか、という違いだけ。ただ本質は「OVA」なんだけど、チャネルによってスケジュールと予算は変動するわけです。パッケージが売れなくなっている中、TVの制約の中でクオリティ維持に苦労しながら戦うよりは、「ここまでやっておけば大丈夫」というクオリティで勝負ができる映画のほうが戦いやすくなっているんですよ。しかも興行の段階から「お金を払って観てもらうため」に宣伝をしているわけで、パッケージを売るということと目的は同じですよね。そういうミッションのシンプルさも、映画ベースのやりやすさではあると思ってます。
―― 不況などもあってファンのソフト購入のハードルも上がっている中で、数年前の劇場作品並のクオリティをテレビでも求められてしまう状況があるにもかかわらず、制作スケジュール自体は昔とほぼ変わらないわけですよね……。
藤津 そうなんですよね。もちろん、そうした時代の変化に対応して、テレビシリーズのクオリティを上げられる体制を組んでいる会社も多いですよね。たとえば京都アニメーションさんとか。ちょっと実情をちゃんと取材したわけではないですが、ほかにもP.A.WORKSさんだったりufotableさんも、自社の内製にこだわりを持っているスタジオと受け取っています。
―― 原動画のスタッフを自社で多く抱えて、クオリティを維持している印象を受けるスタジオさんたちですよね。
藤津 後発のスタジオなので、それまでのアニメスタジオの運営の問題点みたいなものをクリアしていこうという意志があるのだと思います。アニメーター不足とか要求されるクオリティが高くなっているとかそういう要因もある以上、従来のスタジオも、スタッフ育成とそれによる内製というのは射程に入れつつ会社の体制を整えていくようになると思います。まあ、その一方でシャフトは、けして組織力に優れる会社ではなかったわけだけど、それを逆手にとって様式で魅せるセンスで、人気を得ているわけですが。
―― スタッフ間の意思疎通がはかりやすい小規模スタジオならではの特殊な表現をウリにして勝負しているわけですね。
藤津 アニメに求められているクオリティが上昇している、たとえば画面の情報密度が上がっていることそのものは、マクロなレベルでは大変なことであるのは間違いないです。でも、ピンチはチャンスというのもまた然りで、ミクロなレベルではチャンスに繋げられる事態でもあるんです。そして、もしかするとそのミクロなレベルでの対処方法が、アニメの今後を占う要素に発展するかもしれない。ただ、すべてのアニメの制作会社が、対処方法を発見・実践できるかどうかはわからないですよね。それは経営者の考え方や、取引先から求められているクオリティのレベルにもよるので。ただ今以上に、自社のリソースをどう使って状況に対応するかが問われて、それができるところとできないところが露わになっていくのかなとも思います。
―― ハイクオリティ路線というのは、どういった経緯で誕生したものなのでしょう?
藤津 幾つか節目があると思うんですが、VHSからDVDに映像メディアが移行し始めたごく初期のヒットタイトルである『カウボーイビバップ』(1997年)で、最初の「天井を突き抜けた」フシがあります。聞くところによるとあの作品は、作り手の情熱だけでコストがかけられていた作品なんですね。それが最終的に、関係者全員が万々歳で喜べるくらいに当たった。そのヒットがあったことで、「テレビでもハイクオリティな作品を作ってビジネスを成り立たせることができるじゃん」みたいなムードが、アニメファンと業界の一部のあいだでなんとなく醸成されたように感じています。当時はまだ、業界の中では、「なんでこんな採算をとるのが難しそうなクオリティでテレビシリーズをやってるの?」と思っている人のほうが多かったとは思うんですけどね。だから、実は「DVDを売らなきゃ」というのは後づけで、ハイクオリティな路線の口火を切ったのは情熱だった、というのが僕の仮説です。そこがややこしいというか、作り手の「密度のあるものを作りたい」「自分たちの納得するものを作りたい」という情熱からスタートしたものが、今の大変な事態を招いてしまったのではないか……と。
―― うーむ……なんとも言い難い問題ですね。
藤津 僕の取材をした実感からいうと、現場には基本的にクオリティを上げたいという気持ちがあるんですよ。その情熱はすごく大事なところなので、強調しておきたいですね。だから「DVDを売るために頑張ってクオリティを上げよう」となっているのは、状況が進んで転倒した結果なんです。ここは忘れてはいけないことだと思います。最初っからビジネスありきで動いてたわけじゃない、と。ただ、当たり前なんですけど、ソフトを買ってもらわないとダメなビジネスモデルができたときに、「ソフトを買う方にとってはもともとの発表形態が映画だろうとテレビだろうと関係なく同じ基準で判断される」ということは、今から振り返れば自明だったんですよね。テレビ作品だからソフトが安いということはもちろんない、むしろ全巻揃えたらトータルのコストは高くつくわけじゃないですか。すると、いいものであるに越したことはないという気持ちは働きやすいんですよね。

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