2013年07月09日(火)

藤津亮太のアニメ時評
帰ってきたアニメの門 第2回
『男子高校生の日常』

アニメの門
 

『男子高校生の日常』とキャラクター

 
 作品の面白さとは別に、見ているとアニメについてつい考えてしまう作品というものがある。『男子高校生の日常』はそんな作品の一つだ。『男子高校生の日常』を見ていると、いつも「アニメにおけるキャラクターとはどういう存在なのだろう」という疑問が浮かんできてしまう。

 『男子高校生の日常』は山内泰延の同名ギャグ漫画のアニメ化。タダクニ、ヨシタケ、ヒデノリという3人の男子高校生が、「あるある」と頷きたくなるようなシチュエーションからもう半歩踏み込んで、男子高校生のアホさを象徴するようなくだらないやりとりを繰り広げる内容だ。そのノリは、ギャグアニメというよりコントといったほうかしっくりくる。このコントを盛り上げているのが、この3人を含め、演技巧者がそろったキャスティングなのはいうまでもない。
 たとえば『男子高校生の日常』第5話のアバンタイトルでは背中からキャラクターをとらえ、第6話ではロングショットでバレーボールをする3人を描いている。これはどちらも口パクが見えない絵のため、キャストは自分のタイミングでセリフをしゃべることができる。その分、セリフに生々しいノリが加わって、おかしみも増していた。
 そして、キャストがある程度自由にしゃべったセリフがおもしろいこの瞬間に浮上するのが、さきほど記した「アニメのキャラクターとはどういう存在なのか」という疑問だ。
 
 たとえば、タダクニ、ヨシタケ、ヒデノリたちキャラクターの図像がなかった時、声の生々しさだけで視聴者の中にこれほどまでに明確な「キャラクター像」が結ばれるのだろうか?

 漫画原作も含めたアニメのキャラクターは、程度の差はあれある種の記号の集積として描かれている。さらに言えば、その記号の集積は常に不変である必要はなく、時に描き手が変わり、多少絵柄が変わっても、視聴者はキャラクターの一貫性を疑わない。この時、一貫性を保証するために重要なのは、描き手が変わっても左右されない、キャラクターを特徴づける大きな記号――髪の毛の色や形、あるいは服など――が変わっていないということだ。
 いってしまえば、アニメのキャラクターはこのような極めて大ざっぱな記号で成立しているため、さまざまな状況でも同一のキャラクターとして認識してもらえるのだ。
 
 キャラクターの声もまた、絵柄の記号ほどではないが、キャラクターの一貫性を保証する重要な要素の一つだ。だが声は、絵柄の徹底した記号性とは反対のベクトルを向いている。声は役者の身体に依存する。固有の存在である役者の身体から生まれるからこそ声には生々しさがあり、それがキャラクターに生命を吹き込むことになる。
 つまり、2次元の記号と3次元の肉体がそれぞれに一貫性を保証しつつ、その双方の合力の産物としてそこに存在しているのがアニメのキャラクターなのだ。
 これは役者という視点で考えると、記号で形作られた外観によって、その声が役者の身体から切り離されているということでもある。
 そうして考えてみると、バラエティ番組で顔出しをしたキャストが自分が演じた人気キャラクターのセリフをその場で演じることがある。それが極めてオリジナルに忠実であっても、どこか「ものまね」のように聞こえてしまう理由も見えてはこないだろうか。あるいはキャストがしばしば「キャラクターの絵をみないと、その声がでてこない」ということの理由も。
 
 セリフで見せるタイプのアニメ作品は「ドラマCDのようだ」とたとえられることも多い。しかし今考察した通り、アニメのキャラクターというのは、声だけ抜き出してもキャラクターとしては成立しないものなのだ。絵がなければ、役者の身体が前に出て、アニメ的な記号性は少なからず損なわれる。むしろ声だけで演じられるキャラクターは、(演技の方向性はさておき)役者の身体依存度が高いという点で実写に近いものと考えられる。

 つまり『男子高校生の日常』のアバンタイトルがいかに役者の演技の巧みさにによって成立していようと、視聴者の中に「タダクニはあの姿にあの声」という認識を前提にしているからこそ視聴者におもしろさが伝わっている場面であるといえる。
 
 キャラクターを成立させる2次元の記号性と3次元の声の合力だが、極めて早口なセリフ回しによってセリフにも人工的な記号性を帯びさせるとそこにいるのは、『化物語』の阿良々木暦になる、また逆に2次元の記号性をあえて軽んじ、役者に寄り添ってしまえば『gdgd妖精s』の1コーナー「アフレ湖」(奇妙な3DCG画像を見ながら、役者が勝手にアフレコをしてそのおもしろさを競う内容)になる。逆にいえば『男子高校生の日常』の会話のやりとりのおもしろさは、『化物語』と『gdgd妖精s』の中間に定位することができる。
 そう考えると『男子高校生の日常』の第5話に登場した、女子高生の行動に勝手にアフレコするエピソード(「高校生とアテレコ」)は原作以上に、キャラクターと声の関係について批評的な意味を帯びているということがいえそうだ。

 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota
初出:2012年2月15日

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