2013年07月29日(月)

藤津亮太のアニメ時評
帰ってきたアニメの門 第15回
『たまこまーけっと』

アニメの門
 

柔らかに描き出される時間と人々

 
 『たまこまーけっと』を見始めた多くの人は、同じメインスタッフが手がけた『けいおん!』をどこかに念頭において見始めたのではないか。作り手もそれを意識していたのか、第1話のトップシーン、主人公のたまことその友達が3人で手をつないで駆けている様は、ちょうど『映画けいおん!』のラストで駆けだした唯たちとまるで地続きのような印象を与えた。
 だが『たまこまーけっと』は、そんな『けいおん!』から続く印象を、すぐさまするりとぬぐい去る。その最たるものは、コメディリリーフにしてストーリーの鍵を握る(と思われる)、トリのデラ・モチマッヅィの登場なのだが、この特異な存在についてはまた後ほど触れることにしよう。
 では『けいおん!』から『たまこまーけっと』で何が変わったのか。
 
 当たり前だが、画面に映るものが変わった。具体的には、作品が捉えようとしている射程がいくぶん広くなった。
 『けいおん!』が切り取っていたのは端的にいうと「私たち」であり「現在」であった。部室という場所に象徴される、狭い空間であり、均質で濃密な空気。『けいおん!』の持っていたフェティッシュはそこで何倍にも増幅されていた。
 これに対し『たまこまーけっと』は、「私たち」だけでなく「みんな」、「現在」ではなく「過去と未来」が自然と射程の中に入ってきている。だからその手つきも「切り取る」というようなソリッドなものではなく、「すくい取る」ような柔らかなものになっている。
 「みんな」や「過去と未来」も画面に登場する、というのはどういうことか。
 
 たとえば『けいおん!』では、唯の両親の存在感はかなり薄かった。それに対して、たまこの祖父・福、父・豆大はしょっちゅう登場する。
 この2人が垂直方向に人間関係を広げている一方で、部活が異なるのにやがて友達になる朝霧史織や、南の国からデラを探してやってきた少女・チョイのエピソードによって、水平方向にも人間関係が広がっていく。さらにこうしたメインの人間関係を、独身の豆腐屋、鮮魚店の中年夫婦、玩具店の老人、性別不明な生花店といったバラエティに富んだ商店街の面々が取り囲んでいる。
 たまこをセンターに置きながら、カメラはその周囲に、「私たち」の範囲を超えた、さまざまな人が生きていることを描き出す。
 たまこの幼なじみ・大路もち蔵がたまこに告白しようとするのを、友達・常磐みどりがブロックするエピソード、あるいは、みどりが文化祭で披露するバトンの振り付けを思いつけず、人知れず苦悩するエピソードも、たまこがそこを知り得ないが故に、世の中の広がりを感じさせる。
 人間関係だけではない。作中に登場する時間にも広がりがある。
 第1話でたまこは、自分が知らずに覚えて口ずさんでいる歌がなんの曲なのかを知りたいと語る。この疑問は第9話で解消される。口ずさんでいた歌は、父・豆大が若き日にバンドで歌い、既に亡くなっている母に贈った歌だったのだ。ここでは、たまこが生まれる以前の、彼女が知り得なかった過去が呼び出されているのだ。
 
 このようなエピソードの積み重ねを経て視聴者は、多彩な人間関係の広がりと、過去から現在へと続く繋がりの中にたまこがいることをその目で確認することになる。
 そして、その広がりと繋がりを意識させる契機となっているのが、デラだ。
 デラは、南の国の王子の后を捜すために(何故か)日本にやってきたという。人語を解するだけでなく、(壊れてしまったが)本国との通信機能を持ち、映像を再生・投影する能力も持っている。
 この通信と映像投影能力は、「ここにはないものを、その場に呼び出す力」といえる。これは本作でデラに与えられた本質的な役割だ。だからこそ、デラは縁遠かった史織とたまこを結びつけ、父の過去を映像として蘇らせる。たまこの身の回りにこれまであって、気がつかなかったことを顕在化させるのだ。
 
 そしてもちろんデラは、画面の中に「未来」も召還しようとしているかに見える。
 第10話まで見た段階では、ミスリードか前振りかは判然としないが、チョイがたまこに「后の気配」を感じるシーンが存在するのだ。
 もしこれが前振りであるなら、たまこはデラが運んできた「王子の后」という未来と向かい合わなくてはならなくなるのではないか。もしそうなればその時、さほど強い個性を持っているとは言い難いたまこは、明確な意志で自分の未来を選ばざるを得ない。これは漠然と当たり前に思っていた自分の周囲の人間や家族といった「自分を取り囲む人間と時間の広がり」をたまこ自身が自覚する契機にもなるはずだ。
 この予想が当たるかどうかはさほど重要ではない。ただ、人というのはいろんな人間関係や時間の綾の中に生きていて、それはそう悪いものでもない、という“テーマ”のアニメが、そのシーズンの話題作として放送されていることに、日本のアニメの成熟を改めて実感するのだ。

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota
初出:2013年3月23日

関連リンク

帰ってきたアニメの門アーカイブ