2013年10月04日(金)

藤津亮太のアニメ時評
四代目アニメの門 第3回
『有頂天家族』

アニメの門
 

第3回:『有頂天家族』
美術が語るアニメの世界観

 
 『有頂天家族』はとても魅力的な作品だった。特筆すべき点は多々あるが、今回はその美術に注目したいと思う。
 どうして本作の美術が注目すべきなのかを説明するには、まず美術がアニメというメディアの中で果たしている役割から解説する必要がある。なお混同されて使われがちな「美術」と「背景」という言葉だが、ここでは少し厳密に、各カットの背景内容を決定する方針の総体を「美術」と呼び、それに基づいて描かれた各個の絵を「背景」と使い分ける。
 
 まず考えてもらいたいのは、そもそも視聴者は背景を見てどういう情報を得ているのか、という点だ。
 まず背景によって決まるのは、そのシーンがどこで起きているかという「舞台」だ。そしてその舞台に描かれた事物、光の具合などから「どんな季節か」「何時ごろか」といった「時間」に関する情報もわかる。さらに、舞台の描かれ方によって、そのカットの奥行き(空間感)も伝わってくる。
 ここで背景から「わかる」と書いた3つの要素のうち2つは、脚本でいうところの「柱」で指定する要素で、3番目の「空間感」もそこでキャラクターが演じる演技と密接な関係がある。つまり視聴者はぱっと画面を見た時、背景から、物語を進行するための物理的な前提条件を受け取っていることになる。
 
 まだアニメの歴史が浅く、美術が素朴なスタイルだったころは、空間感はさほど求められておらず、背景は「場所」と「時間」を指し示すだけで十分役割を果たした。
 ただこれだけでは「書き割り」に過ぎない。アニメがより迫真性のある表現を求めていく過程で、キャラクターとその後ろ側にある空間が連動する必要がでてきた。そしてやがて、架空のカメラのレンズを想定し、精密な遠近法を前提にした画面構成が行われるようになり、アニメの背景は「書き割り」であることを脱した。「演技を行うことのできる空間」をそこに描き出すようになったのだ。
 だが、これら背景から伝わる表層的な情報は、美術が本来的に担うべきことのほんの一部分に過ぎない。
 
 ここで『有頂天家族』の美術に見られる特徴的なポイントを挙げてみよう。
 1つは、強い光源に照らされた対象物を描く時、明暗の境目をグラデーションで描かず、2段階程度の塗り分けで表現している点。
 もう1つは、路面などのテクスチャ。たとえば路面の上には、白線が剥がれた跡のようなものが細かく描かれている。このテクスチャは実線で縁取りされ、周囲の色と少し違う色で塗られている。
 神社や河原のシーンなどでしばしばでてくる木々は、それなりのボリュームをもって描かれているが、立体的というよりは平面的に処理され、色面で塗り分けられ、それぞれの葉は大きくまとまりごとに輪郭線で縁取られている。
 また色使いは全般に明るく、彩度の高い色が各所で使われている。
 これらの特徴は『有頂天家族』全編の背景で共通しており、特徴というよりは本作の美術の「様式」と呼ぶにふさわしい内容となっている。
 
 先述の通り個別の背景は、物語やドラマを理解するために必要な情報を伝えているわけだが、では、この「様式」は何を伝えているのか。
 それは作品の「世界観」だ。
 ここでいう「世界観」とは、設定的なものというより、その作品(ひいては作り手が)、どのように世界を見ているか、ということの表明だ。
 『有頂天家族』の美術の様式は、道路のテクスチャなどによる情報密度の高さや、カラフルな色使い・光の処理の仕方などの様式が一体となって、画面に華やぎ、賑やかな雰囲気を与えている。それはそのままこの作品が表現しようとしている雰囲気そのものでもある。
 
 ポイントは、『有頂天家族』に登場する街の建物などは写実的なスタイルでその形をとらえられている点だ。つまり塗り方がもっと現実模倣的な様式であれば、もっと「リアル」に見えるところを、あえて独特のテクスチャ、色使いによって楽しげな背景としているのだ。
 これは原作が、現実の京都と重なり合うようにして、実はタヌキも天狗もいる虚構の京都を描いている手つきとイメージがダブる。本物のようでありながら、どこか現実から遊離した楽しさ。それもファンタジックな方向性にいくのではなく、「阿呆の血のなせる技」という原作のキーワードにつながる、どこかでちゃんと地に足の着いた楽しさ。そういう作品の「世界観」が『有頂天家族』の美術からは明確に伝わってくるのだ。
 
 アニメは絵である。その絵である強みを、もっとも生かせるのが実は美術だ。だが実はシリアスでリアル指向の作品は、「絵」としてのおもしろさは案外出しづらい。ヒューマンなコメディであるからこそ『有頂天家族』は、美術が力を発揮した作品ともいえる。
 
 ちなみに今期では、『有頂天家族』とはまた違ったアプローチで、美術が「世界観」を語っていた作品がもう1つあった。それはやはりコメディの『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』だ。『私モテ』の美術は、一種の書き割り的な背景の上にレンズフレア風の多角形の光を重ねるというスタイル。この多角形の重なりが、この作品が光(と影)、それからフォーカス(人から注目を浴びること)をめぐる物語であることを雄弁に語っていた。
 
 美術が何を語ろうとしているかを考えると、アニメはもっとおもしろく見られるはずだ。
 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota

 

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