2014年04月11日(金)

藤津亮太のアニメ時評
四代目アニメの門 第9回
『LEGO® ムービー』

アニメの門

『LEGO® ムービー』の組み方

 『LEGO® ムービー』がおもしろいと聞いて、あわてて劇場に足を運んだ。LEGO(レゴ)は、いうまでもなくデンマークの玩具メーカーの名前。同社が製造するブロック玩具「レゴブロック」の通称でもある。公開前の、レゴのミニフィギュアをフィーチャーしたポスターを見ると、LEGOのメインユーザーであろう子供に向けた作品に見えた。だが実際に映画を見てみると、子供に楽しいだけでなく、大人にはいろいろな点で深く味わえる作品に仕上がっていた。こういう映画がポッとでき上がってくる(ように見える)あたりに、アメリカ映画の懐の深さを感じずにはいられない。
 なお、この原稿は作品の結末・細部に触れている。本作は見る価値がある映画なので、気になる人であれば、(まだ間に合う劇場もあるはずなので)何をさておいてもまず映画館に駆けつけることをおすすめする。
 
4mon09 この作品がまずユニークなのは、レゴで組み立てられ、ミニフィギュアが暮らす世界を舞台にした点だ。登場する建物やミニフィギュアなどすべてはレゴブロックで作られた……かのように描かれた3DCGである。3DCGだからといって単に「レゴ風」に描かれたというわけではない。劇中に登場するアイテムはすべてブロックで再現できるかどうかレゴ本社で実際に検証されたという。本作はそうしてレゴの世界観が徹底されているのだ。驚かされるのは、水しぶきや爆発などのエフェクト関係もすべてレゴブロックで表現されている点。そこまでレゴブロックで表現されることで、レゴの世界とはこういうものか、という独特の説得力が生まれている。
 
 物語の構図はこうだ。
 レゴワールドに大きな影響力を持つおしごと社長。実は彼はおしごと大王という裏の顔を持っていた。かつてレゴワールドの住民たちは、いくつもの王国(ブロックシティ以外に西部の町、中つ国などレゴの商品ラインナップを反映した国がある)を自由に行き来し、好きなものを組み立てることができた。それを禁止したのがおしごと大王なのだ。
 そしておしごと大王は、スパボンというおそろしい力を手に入れ、レゴワールドを自分の理想の状態で固めてしまおうと考えていた。
 これに対抗するのが、マスタービルダーたち。彼らは、イマジネーション豊富で自由にレゴブロックを組み立てることができる人々だ。彼らは、リンカーンやスーパーマンなど歴史上の有名人や有名な映画のキャラクターなどのミニフィギュアである。
 ちなみに、彼らマスタービルダーのやりとりは、アメコミや映画を元ネタにしたパロディが多く、元ネタを知っているとクスリと笑わせられるものが多くて、本作はそのあたりのマニアックなくすぐりも実に巧みだ。
 
 そんなおしごと大王とマスタービルダーの戦いに巻き込まれたのが主人公エメットだ。レゴワールドのブロックシティで暮らすエメットはおしごと社長が用意したマニュアルを愛読して、普通に生きることだけを考えている平凡な作業員だ。実際、アノニマスな作業員のミニフィギュアがエメット役をあてがわれている。
 ところがエメットは偶然、おしごと大王の野望にストップをかけられるという「奇跡のパーツ」を手に入れてしまう。「選ばれし者」となったエメットはおしごと大王の手下バッド・コップから追われることになる。
 自分の住んでいた平和な世界が実は管理されたディストピアで、選ばれし者として目覚めた者がその欺瞞を暴く――という展開は決して珍しいものではない。
 
 本作がユニークなのは、エメットが「選ばれし者」である、という前提がクライマックスの前にひっくり返されるところだ。「選ばれし者」が現れるといったのは、おしごと大王に対峙した長老のウィトルウィウスの口から出任せだったのだ。
 だがエメットはマスタービルダーのような個性的な存在でないからこそできるアイデアを提案してピンチを切り抜ける。クライマックスのおしごと大王との対決も、何者でもないことがキーワードとなって展開する。
 そして、何者でもないエメットの物語は、同時に映画の観客の物語にもなっているので、エメットにだけ注目して見ても、非常にカタルシスのあるエンターテインメントとして楽しむことができる。
 
 本作が巧みなのは、このエメットの物語が同時にレゴの哲学をめぐる物語になっている点だ。
 レゴブロックは、単純なパーツをどんどん組み替えていろいろなものを作れるところに魅力がある。同じブロックを使ったとしても組み方でまったく違うものになる、ダイナミックな変化こそレゴブロックの神髄といえる。
 おしごと大王は、そのダイナミズムを否定する存在であり、マスタービルダーは逆に、レゴブロックの持つ創造性を体現している。マスタービルダーの戦いは、レゴのダイナミックさを守るための戦いといえる。
 ここで注目したいのは、レゴブロックのダイナミックさは、(最近は専用パーツを使うキットも多いとはいえ)無個性なブロックが使われる場所が変わることで、時にビルの壁、時に飛行機のエンジン、時に花壇に変化するところだ。
 個性がないからこそ、ダイナミックな変化が可能になる。このレゴの思想がそのままエメットが主人公である理由の後ろ盾になっている。マスタービルダーたちは有名な歴史上の人物やキャラクターだが、それゆえに彼らは彼らという「枠」をこえられない。だがエメットは、何者でもないから、何かになろうと思えばなることができる。「選ばれし者」ではないからこそレゴの世界を救えるというパラドックスは、実はレゴの精神に照らし合わせて実に正しいものだ。
 つまり本作はエメットを通じて、レゴの哲学(そしてそれはつまり、世界中で愛されている理由)を描いた映画でもあったのである。タイトルが『LEGO® ムービー』であるゆえんもそこにあるのだろう。
 
 このドラマの二段重ねでも十分、たいしたものだと思わざるを得ないのだが、本作はその上にもう一つドラマを重ねてくる。
 それは「大人の趣味」と「子供の遊び」の葛藤だ。
 きれいに組み上げたレゴの世界をそのままそっとディスプレイしたいというおしごと大王の思想は、そのまま大人が趣味でレゴブロックを組み立てた時の発想だ。そもそもレゴの商品ラインナップの中には、映画などの世界をレゴで精緻に再現することを魅力にしているものもある。
 一方、どんなブロックも自由に使って思うままに作っていくレゴブロックの遊び方は、童心に寄り添うものといえる。
 レゴ・ワールドの中では悪事として描かれていた「きれいに組み上げたレゴの世界をそのまま保とうとする」ことは、我々の現実の世界では否定されるほどの悪ではない。ただそれは同時に、自分の中の「子供のような自由な遊び」にフタをしてしまう行為でもある。大人になってレゴブロックで遊ぶ人は、この「大人の趣味」と「子供の遊び」の葛藤が心の中にあるはずだ。これはレゴだけにかぎらず、「子供っぽい」といわれるジャンルを趣味にした人ならば必ず抱える葛藤だろう。
 
 遊びのままだけでは、趣味の奥深さを知るには足りない。趣味にこだわりすぎれば、初期衝動である遊びの楽しさを忘れてしまう。
 この二つの調和こそ、実は人生には必要なことなのだ。レゴの世界の闘争を描いてきた本作は最後にそのような大きな視点を導入して物語を締めくくる。
 「レゴとは何か」という自己言及的な内容が説得力を持って展開される本作を見て、レゴは一つの文化と呼ぶことができる奥行きを獲得しているのだなという思いを強くした。
 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota

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