2014年06月06日(金)

藤津亮太のアニメ時評
四代目アニメの門 第11回
『HUNTER×HUNTER』

アニメの門

言葉と「間」

 キメラアント編のクライマックスに入った『HUNTER×HUNTER』が盛り上がっている。
 原作の中でも最も長いキメラアント編は、後半になると単なる敵味方の攻防を超えた緊迫の展開が続くのだが、その中でも「ハンター協会会長VSキメラアントの王」と「王に仕えるネフェルピトーとゴンの関係」についてはドラマの大きなポイントとなるため、ひときわ高いテンションで映像化されていた。
 
 ここでひとまず概略をおさらいしていこう。
 現在放送中の『HUNTER×HUNTER』は2011年秋より放送開始された。『HUNTER×HUNTER』は1999年にもアニメ化されており2度目のアニメ化となる。
 日本テレビでは当初午前11時からの放送だった(日本テレビで全日帯に新たなアニメがスタートするのは非常に珍しい)が、放送3年目に入る2013年秋より時間枠が深夜帯に移動。この時点でキメラアント編の前半まで放送していた。
 
 キメラアント編は、大型化した凶悪な昆虫キメラアントが増殖して人類の選別を始めたため、主人公ゴンたちハンターがそれを止めるべくキメラアントがいるNGL自治国へと潜入するという内容。ストーリーの途中でキメラアントの女王が圧倒的な力を持つ王を産み、物語はこの王をめぐって本格的に動き始めることになる。原作は単行本でおよそ12巻分、休載期間をはさみながら足かけ8年にわたって連載された。1999年のアニメ版はTV終了後も2004年までOVAとして原作を追いかけていたが、キメラアント編についてはまだ連載が始まったばかりだったため映像化されておらず、今回が初のアニメ化となる。
 
 キメラアント編は中盤以降、多様なキャラクターが入り乱れて王を殺すため/守るために、それぞれの能力を駆使して攻防を繰り広げる展開になる。そのため、原作の段階からナレーションが多用されている。それぞれの思惑、計略の絡み合いを伝えるには、俯瞰の視点があったほうがわかりやすいからだ。また、キャラクターの心情・思考を説明するためのモノローグも随所に入る。
 アニメもその形式を踏襲しているため、ナレーションの量は非常に多く、モノローグもそのまま再現されている。ナレーションやモノローグの多用は、説明的ということで好まれないことが多い。だが、ことこのキメラアント編については、「原作にあるから」「複雑な状況を説明するのに便利だから」以上の理由で、ナレーションやモノローグの多用は非常に効果的だったということができる。
 
 その一番の理由は、ナレーションとモノローグが緊張感の維持に大いに役立っているからだ。
 たとえば、王を倒すための作戦が本格的にスタートするのが第111話「トツニュウ×シテ×シンニュウ」から。そこからカウントしても既に20話近く経過している。5カ月余りもの間(しかもキメラアント編終了まで考えると、半年ほども)、高いテンションを保ち続けるのは非常に難しい。
 キメラアント編では、大量のナレーションとモノローグが説明の域を超えて、作品の一貫したトーンを貫く役割を果たしている。原作では客観と主観による情報の整理が主な役割のナレーションとモノローグだが、アニメ化されそれが音声になると、そこで語られる情報性を超えて、その響きが作品世界を形づくり始める。その時ナレーションやモノローグはそれが劇伴に限りなく接近していくのである。
 
 だからこそ、その“劇伴”がふと鳴り止んだと時、物語は転調し、新たな展開が始まる。言葉をベースに醸し出される緊張感の上に、絶妙の「間」が加わって、作品にメリハリが生まれるのだ。
 たとえば第129話「ヒョウテキ×ト×モクテキ」。大事なことを思い出せない王の「何かが……違う」というセリフに先行して「ピーン」という張り詰めた音が入り、画面では王の脳内にうごめく、思い出そうとしても思い出せない人物の姿がシルエットで描かれる。この絵と音とを組み合わせることで「間」が作られ、「何かが……違う」という王のいらだちにも似た戸惑いが強調される。
 原作では「何かが」と「違う」の間でページめくりになる効果をわざと入れて、王のこの発言の持つ意味の大きさを外側から強調しているが、アニメは「間」をつかって、その内面に入り込んでいるのである。
 セリフが多い作品だけに、こうした「間」は非常に効果的に働いている。第130話「マホウ×デ×ゼツボウ」の、ピトーがプフから偽の情報を伝えられ「わかった」というまでの「間」も同様だ。
 
 そしてなんといっても、会長と王の死闘を描いた第126話「ゼロ×ト×ローズ」に続き、圧巻の第131話「イカリ×ト×ヒカリ」のゴン。怒りで自らを強制的に成長させていくカットの荒々しい筆風のタッチも印象的だったが、なにより魅せたのは、死んだピトーが最後にゴンに攻撃を加え、ゴンの右腕が失われる一連のシーン。原作でおよそ8ページにわたる場面を、アニメ版ではそこを白と黒だけで描かれた画面で展開し、その中で唯一、色がついた血の鮮烈な赤が強い印象を残す。スローモーション演出にすることでセリフの入らない時間を長くとり、主題歌のピアノアレンジをたっぷりと聴かせている。「間」を最大限までとることで、物語の一つのクライマックスを演出している。
 
 このように『HUNTER×HUNTER』は、セリフが多いことを利用して緊張感を維持し、セリフが多いからこそ効果的になる「間」を巧みにつかって、原作が持っているエモーションを的確に伝えてくる。ナレーションで進行するアニメはしばしば「紙芝居」などとネガティブに語られることもあるが、『HUNTER×HUNTER』がそれらとはっきり一線を画している点はもっと注目されてよいように思う。
 
 これからキメラアント編の結末部分に入る。原作既読の人は今後の展開を知っているだろうが、物語の最後の部分に非常に静かなシーンが出てくる。果たしてそれがアニメ版でどのような「間」で演出されるのか。今から楽しみだ。
 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota

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