2014年12月26日(金)

藤津亮太のアニメ時評
四代目 アニメの門 第17回
『日本アニメ(ーター)見本市』

アニメの門

アニメのストーリーを考える

 『日本アニメ(ーター)見本市』という短編アニメーションのシリーズ企画がスタートしている。
 企画はニコニコ動画のドワンゴと『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズのスタジオカラー。毎週金曜日に、公式サイトもしくは公式アプリを通じて短編アニメーションを配信するもので、これまでに7本の作品が配信されている。
 
 この企画について、スタジオカラーの庵野秀明監督は「日本のアニメーションが持っているイメージの面白さの追求と拡散、自在な表現の深化と多様化、個々の才能の確認と開拓、そして何より日本のアニメ(ーター)に内在しているであろう、未来への夢と可能性を信じるべく、本短編集を企画立案いたしました。このささやかなレジスタンスが、一人でもより多くの方々に御支援、御賛同いただけると幸いです。何卒、よろしくお願いします。」(公式サイトより)とコメントを発表している。
 各短編の時間はおよそ7分前後。和風のファンタジーあり、3DCGによる青春ものあり、セクシーなPVありと、庵野監督のコメントの通り、今の日本のアニメ(業界)が持っているポテンシャルがストレートに伝わってくるラインナップとなっている。全30作程度を予定しているそうだから、今後どのような作品が登場するか楽しみだ。特に無料配信というスタイルは『迷宮物語』『ロボットカーニバル』『GeniusParty』『冬の日』といった過去のオムニバスアニメと大きく異なる。すそ野がどこまで広がるかも注目だ。
 
 さて、過去のオムニバスアニメを思い出したり、『見本市』を見ながら思ったのは、短編アニメにおいて「ストーリー」とはどういうものであろうか、ということだった。
 ストーリーとは、作品における一種のインターフェースだ。一般的な会話で「どんな作品?」と質問された時、十中八九、物語の内容を説明することが回答になることからもそれがうかがえる。ストーリーは観客と作品の最初の接点なのだ。
 短編アニメで表現に軸足を置けば置くほど、ストーリーはシンプルになりインターフェース化していく。表現をプレゼンテーションするための“ガワ”になっていく。そこに短編アニメの難しさがあるのではないか。
 というのもストーリーがあると、どうしても表現はストーリー上の必然の上に成り立つことになる。たとえば泣いてしまうキャラクターがいた時に、ストーリーが用意した泣くことの必然を受けての「泣き」の表現が決まってくる。この時に、表現がストーリーの要請を受けている以上、ストーリーを食い破るほどの存在感を発揮することはなかなかない(もちろん、そういうタイプの表現者もいるが数は少ない)。
 
 ストーリーは、観客との共犯関係ですすんでいく。想った通りに進む快感、予想を超える裏切りのサプライズ。観客はストーリーを与えられると、それまで見た物語の記憶を参照しながら自動的に、その先を予想しようとしながら楽しむ。短編のストーリーは、どうしてもシンプルなために、観客にまるごと覚えられやすく、ストーリーとして消費されやすい。
 つまり短編アニメには、消費されやすいストーリーとアルチザン的に凝った表現の融合という形に落ち着きやすい重力が働いているのだ。そこに落ち着いた作品は、マネタイズしにくいだけで、現状の商業アニメの想定しうる枠の中にきっちり収まることになる。エンターテインメントを志向している限り、短編はあくまで「小さなエンターテインメント」の範囲に留まってしまうのだ。
 もちろん、作り手は作りたいものを作ればよい。ただこうした短編企画というものは「商業アニメではなかなかできないことを」という思いがあったはずで、それが結局「マネタイズが難しい」というだけのところに落ち着いてしまうのは、少々寂しい。
 
 これはストーリーというものがネックなのだ。因果の流れを整え「わかりやすくする」のがストーリーの機能でありエンターテインメントの中核にある以上、ストーリーを縦軸に用意した時点で、ある種の枷が生まれてしまう。
 短編に必要なのはストーリーではなく「詩(韻文)のセンス」ではないか。ストーリーの呪縛から逃れ、韻文のように映像と映像がモンタージュでつなぎ合わされていく時、ようやく本当に「商業アニメではできないこと」に接近するのではないか。そうすれば表現はストーリーの要請に応えるのではなく、異化効果とともに新たな世界の見え方を提案するプレゼンテーションになる。そこには短い時間を超えた、大きなイメージが待っている。
 これは商業アニメがインディペンデント系の個人作家が作っている作品に接近することでもある。この2つの領域がもっと積極的にクロスオーバーしていくことには意味がある。「イメージの面白さの追求と拡散、自在な表現の深化と多様化、個々の才能の確認と開拓」という点で、そこには本質的に違いがないからだ。
 
 エッジのたった短編が『見本市』やそこ以外の場所からも登場して、観客をどんどん挑発してほしい。そのためには「ストーリー」を疑うことが大きなポイントになるはずだ。
 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota

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