2015年03月06日(金)

藤津亮太のアニメ時評
四代目アニメの門 第20回
『花とアリス殺人事件』

アニメの門

アニメーションの事件

 2004年に公開された実写映画『花とアリス』は中学時代から仲のよい花とアリスの2人が高校に入学し、1人の先輩を巡って奇妙な三角関係になるという内容の映画だ。そして今回公開された『花とアリス殺人事件』は中学時代の2人がどうやって出会い、友達になったかを描いた前日談、いわばエピソード・ゼロだ。
 
 この2作で大きく異なるのは『花とアリス殺人事件』は『花とアリス』のような実写ではなく、アニメーションで制作されたという点だ。
 『花とアリス殺人事件』の脚本第1稿は『花とアリス』公開時の2004年に既に書き上げていたという。その時点では小学生時代のストーリーで、この時からアニメーションとして制作することが考えられていたそうだ。
 どうしてアニメーションでなくてはいけなかったのか。
 それは「花役は鈴木杏、アリス役は蒼井優しか考えられない」という大前提と、物語が要請する年齢をどう一致させるかということから導き出された答えだった。第1稿の段階では「10代半ばの役者に小学生を演じさせる」ためだったこのアイデアが、“11年後に制作された前日談”では「大人になった役者が中学生を演じるため」に活用されている。そしてここには「アニメーションにおけるキャラクターとは何か」という大きな問いが潜んでいる。
 この発端からしてわかる通り、『花とアリス殺人事件』は、そのかわいらしい青春映画としての佇まい(この点でこの映画は非常に魅力的なので未見の方は見たほうがよい)とは別に、「アニメーションとは何か」を問いかける非常に挑発的な映画でもある。
 
 ここで本作がどうやって制作されたかを確認しておこう。
 本作はメインキャラクターが主にセルルック3DCGで、モブキャラクターがロトスコープで描かれている。
 岩井監督はまず、自ら書いた脚本を絵コンテに起こした。この絵コンテを参考にしつつ、ロケとセットでガイド用の実写映像が撮影された。この時はそのための役者やエキストラが演じている。
 出来上がった実写ガイド映像は、編集され1本の“映画”としてまとめられる。この映像に蒼井優、鈴木杏らキャストが声を当てる。そしてこの「実写ガイド映像」と「声」をベースにして、3DCGキャラの動きをつけ、ロトスコープのアニメーションが作られる。なので、キャストが実写映像に当てた音声は「プレスコ」という扱いになる。
 そして各素材がコンポジット(撮影)された後、出来上がった映像を岩井監督は1カットずつ確認して、さまざまな修正を加えて完成カットとしたという。
 
 『表象 07』(月曜社)に掲載されたポール・ワードの原稿「ロトショップの文脈 コンピュータによるロトスコーピングとアニメーション美学」(翻訳:土居伸彰)には、ロトスコープを活用して長編アニメーションを制作したラルフ・バクシのエピソードが引用されている。それによるとバクシは、学生たちのロトスコープへの批判に対して「もし君たちがディズニーのお金を私にくれるなら、使うのをやめようじゃないか。でも、くれないだろう? ロトスコープは私が映画を作れる唯一の方法なんだよ」と答えたという。
 『花とアリス殺人事件』のロトスコープはバクシの作品よりもはるかに洗練されたものだ。だが、人的リソースが足りない状況で、“リアリスティックなよい動き”を手に入れる方法として、実写ガイド映像をベースにする方法が選ばれているという点で共通点はある。また、作画の段階で芝居を完成させるのではなく、役者をディレクションすることで芝居を作り上げることができるという点で、アニメーションのディレクションに不慣れな実写監督にも芝居をコントロールできるメリットも無視できない。
 
 この特殊な制作工程を反映して、本作には「アニメ的な記号性(あるいは情報の引き算)の美意識」と「ノイズすれすれのリアリティある動き」が同居している。
 具体的にいうと本作は基本的に「影なし作画」だ。そのかわり画面全体が逆光気味に設計され、キャラクターの色は基本的に影色で塗られている。特定の光が当たる時に、そこが明るい色になる。だから実写と比較しても、最近のアニメと比べても、画面情報的には意図的に少ないスタイルが選ばれている。
 これに対し、動きは実写ベースなので非常にリアル、というか、“アニメ的な所作”からはずれて生々しい(とはいえおそらく完全に実写の動きを絵に移しているわけではなく、おそらく動きをいくらか間引いた上でアニメーション化していると思われるが)。ともあれ通常のアニメが「止めの中の動き」に意味を持たせているとするなら、こちらは「動きの中の止め」に意味が込められている。
 しかもロングショットが中心でアップが少なく、かつキャラクターが常に動いているから、動きだけでなく、演出や編集の感覚そのものも実写に近い。アニメではそのままやってもらしく見えないスローモーションを(愚直にも)要所で何度か入れてくる感覚も非常に実写的だ(さらにいうと反響を拾って同時録音のような音を作り出している音響設計も実写的だ)。
 2013年に放送された『惡の華』もロトスコープを使って話題になった。『惡の華』と比べると、本作のほうが実写的な肌触りになっている。それはおそらく「カットをどう割るか」という部分の違いに起因している。
 つまり本作では、アニメ的な引き算のセンスと実写のようなノイズのあるリアリスティックな動きという、2つの美意識が画面上で不思議な共存を見せているのだ。
 
 しかしどうしてここまでリアリスティックな動きが必要だったのか。ここで思い出すのは、この映画の前提である「花役は鈴木杏、アリス役は蒼井優しか考えられない」という点だ。
 実写映画における「キャラクター」の存在感は役者の肉体に多くを負っている。特に『花とアリス』は、カメラが2人の少女に寄り添い、その一挙手一投足を見届けていくタイプの映画のため、その傾向は強い。だからこその「花役は鈴木杏、アリス役は蒼井優しか考えられない」なのだ。
 本作はそういう種類のキャラクターの存在感をアニメでも成立させようとしていた。そうでないと花なりアリスなりのキャラクターが成り立たない。凄腕のアニメーターが大挙して参加すれば、ロトスコープに頼らずともそういう表現は可能だったかもしれない。だがそれはあまりに現実的ではない。時間もかかりすぎる。だからこそ、3DCGも手描きも実写ガイドをベースにする必要があったのだ。
 
 通常の“アニメ”のキャラクターは、「記号的な図像」と「役者の肉体に依存する声」が相補的に働いて出来上がっている。声によって記号的な図像に存在感が付加されるが、その存在感は役者の肉体に根拠を持ちつつ、図像の介入によってそこから切り離されている(役者の声でなく、キャラクターの声になっている)。
 だが本作のキャラクターはそういう成り立ちをしていない。すべてのベクトルは、前作『花とアリス』で描かれた2人の存在感の方向を向いている。実写ガイド映像も音声も、実写の役者が持っている存在感を表現するために使われているのだ。
 このキャラクター表現を前提にすると、アニメーション的な引き算は、アニメとして見やすくするための“インターフェース”として取り入れられていることがわかる。たとえばキャラクターを見分けやすくするためと、表情演技をわかりやすく伝えるために顔はアニメキャラクターらしく整理された情報でまとめられている。また画面のルックに統一感をもたらすため、影なし作画が選択されている。
 逆にいえば、こうしたインターフェースがあるにもかかわらず、本作が実写的に感じられるということは、「アニメーションらしさ」は動きの設計とそれをいかに見せるかというカット割りに多くを依っているのではないかという仮説も立てられる。これはキャラクターをセルルック3DCGで描いた『楽園追放 -Expelled from Paradise-』をどう考えるかとも共通する論点だ。
 
 アニメーションはいかにしてアニメーションたり得ているのか。本作はそれを意外な方向から照らし出したという意味で、非常に大きな事件といえる。
 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota

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