2015年07月03日(金)

藤津亮太のアニメ時評
四代目アニメの門 第24回(終)
『ラブライブ!The School Idol Movie』

アニメの門

μ’s色に上書きされる世界

 
 『ラブライブ!The School Idol Movie』はファンに応えるサービス満点のアイドル映画でありながら、その語り口は実に大胆不敵だ。
 
 ストーリーそのものは、2期作られたTVアニメの後日談として、極めて順当なものだ。
 第2回ラブライブ!(学校ごとに存在するスクールアイドルの頂点を決めるイベント)で優勝した音ノ木坂学院のμ’s。μ’sは3年生の卒業を期に解散することを決めていた。そして卒業式後、第3回ラブライブ!のドーム開催が発表される。μ’sは解散までの残り時間の中で、ドーム開催に向けラブライブ!を盛り上げるための活動に改めて取り組むことになる。そこで浮上するのは、ラブライブ!への責任感と、ここでμ’sを解散してしまうことの是非……。
 映画は第2期で描かれた卒業=解散の主題を再度、カーテンコールのようにピックアップする。そもそも、卒業=解散があるという仕掛けがほかのアイドルアニメと異なる『ラブライブ!』の特徴なのだから、そこに再度焦点が当てられるのもよくわかる。
 
 ところが、そうして用意されたストーリーを語る手つきは、生真面目なリアリズムをぶっ飛ばすような大胆なものだった。
 まずスピード感。海外ライブのきっかけとなるエアメイルが届いてから、10分もたたないうちにμ’sのメンバーは国外にいる。しかも海外ライブのための受け入れスタッフなどが一切登場しない。決まり切った段取り、タメにならないようなタメを省略することで、物語は冒頭から一気にトップスピードに達する。このスピード感は、帰国後、μ’sが大人気になっている様子を見せるくだりでも十分に発揮される。
 次に驚かされるのが、μ’sが訪れた外国の国名や街名が一切出てこないこと。画面上に自由の女神やエンパイアステートビルが登場することからもわかる通り、μ’sはアメリカのニューヨークを訪れているらしい。だが、主人公の穂乃果たちは頑ななまでに、この街の名前を口にしない。
 どうしてここまでニューヨークの名前を避けるのか、思い始めたところで、この街は秋葉原に似ている、というセリフがメンバーの1人から飛び出す。
 海外ライブのエピソードは、μ’sがこの街のイメージを「秋葉原」という固有名詞で上書きすることに主眼があったのだ。それを納得できるように描くには、ニューヨークという固有名詞は大きすぎる。「秋葉原」という固有名詞を立たせるためには、上書きされる街の名前はないほうがよい。そのために映画の中では用意周到にニューヨークの名前は避けられていたのだ。
 “この街”を秋葉原のイメージで上書きしてしまうこと。この振る舞いは本作の目指すところを的確に伝えている。
 
 やがて帰国したμ’sは大人気になっており、町中にμ’sの姿が溢れている。そしてクライマックスの秋葉原ライブでは、μ’sたちが中心となって、街がスクールアイドル一色に染め上げられている。
 つまり、この映画は、「μ’sが世界をμ’s色に上書きしていく映画」なのである。そして、世界を上書きしていくμ’sは、“μ’s時空”とでもいうべき世界の中心に存在しているのだ。
 実際、カメラにμ’s以外の人物が映しだされることは少ない。先述の通り、段取りやリアリズムの担保のための登場人物は大胆にカットされ、それ以外の登場人物もストーリーの進行上必要な範囲に留められている。
 そうして余分なものを徹底的にそぎ落としたこの映画は、スピード感のある語り口で、スクリーンの上に“μ’s時空”を作り上げてしまう。観客はあれよあれよという間に“μ’s時空”へと引きずり込まれ、約100分の濃厚な時間を体験する。クライマックスでスクールアイドルが大集合し、その中央で歌い踊るμ’sが描かれる。μ’sが世界の中心である、この映画を象徴しているライブといえる。
 
 そしてこの“μ’s時空”のの中でひときわ異彩を放っているのが、高山みなみ演じる女性シンガー(そういう役名なのである)だ。
 彼女は、“あの街”で迷子になった穂乃果が街角で出会ったキャラクターだ。彼女は穂乃果をホテルまで案内してくれるが、気がつくとマイクを入れたトランクを残したまま姿を消している。
 「かつてはみんなと歌っていて、今はひとりで歌っている」この女性シンガーが再び現れるのは、穂乃果がμ’sを解散すべきかどうか迷いのまっただなかにいる時。この時も、いくつかのアドバイスをした後、彼女はすっと姿を消してしまう。
 この女性シンガーは実在の存在なのかどうかは宙づりのまま、映画は進行していく。これもまた本作の独特の語り口の一つだ。そういう意味で、彼女も生真面目なリアリズムとは無縁の“μ’s時空”の存在なのだ。そして、彼女の存在は何なのか? 映画の中でそこに具体的な回答が与えられることはない。
 当欄としては、あれは穂乃果の分身、一種の未来像(SF的な仕掛けがあるという意味ではない)なのではないかと考えている。
 
 「μ’sを解散すべきかどうか」の結論は、穂乃果をはじめメンバーの心の中で既に答えは決まっていたという形で決着する。ということは、穂乃果に名前すらない第三者のアドバイスが響いたというより、女性シンガーとの対話は、穂乃果の一種の自問自答であったと考える方が納得できる。
 しかも、かつてはみんなで歌っていて、今は1人で歌っているという彼女の来歴は、スクールアイドルを終えた後の穂乃果が、どのように生きていくかをそれとなく示唆もしている。
 彼女が“あの街”で穂乃果のもとに置いていったマイクは、さしたる問題にもならず、穂乃果の家に置かれている。このマイクはもともと穂乃果のものだったと考えると辻褄(というほどのものでもないが)も合う。
 あくまで初見時に感じた解釈なので、見直せば細部から別の解釈も可能かもしれない。が、当欄としては、この映画が濃厚なμ’s時空で出来上がっていることを踏まえて以上のように考えた。
 
 めくるめくような“μ’s時空”を現出させるこの作品が公開されたことは、間違いなく、ただならぬ事件なのだ。
 
 
<最後に>
全24回にわたって連載してきた「四代目アニメの門」は今回で最終回となります。ご愛読どうもありがとうございました。
来月からはアニメ!アニメ!で「アニメの門V」としてリ・スタートしますので、よろしくお願いいたします。
 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota

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